鍋島直茂・化け猫騒動の真相と主家を支えた佐賀藩祖の苦悩
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番組説明
龍造寺家臣から佐賀藩の藩祖となった鍋島直茂の敗北から現代に通じる教訓を探る!肥前の国衆・龍造寺家に仕える鍋島清房の次男として、1538年に生まれた直茂は9歳上の従兄弟・龍造寺隆信に従い、龍造寺家の勢力拡大に尽力。1570年、今山の戦いで大友軍を奇襲によって撃退し、一躍、その名を轟かせる。実力で肥前の大名となった隆信が1584年に討死すると、直茂は隆信の嫡男・龍造寺政家を補佐し、主家を支えた。 しかし、1590年、政家は豊臣秀吉により隠居させられ、直茂が肥前の国政を担うことに。直茂は政家の嫡男・龍造寺高房を養子に迎え、主家を懸命に守ろうとした。天下分け目の戦いでは九州の抑えを担い、本領を安堵されるが、1607年、高房が直茂の孫娘である妻を殺害し、自害してしまう。その後、政家も急死し、龍造寺家は事実上、断絶してしまった。直茂はなぜ、主家である龍造寺家を守り切れなかったのか? 初代佐賀藩主には直茂の嫡男・鍋島勝茂が就任し、直茂は1618年、81歳で激動の人生に幕を降ろした。幕末、最後の佐賀藩主となった鍋島直大は1871年、散在していた鍋島家の墓と龍造寺家の墓を高伝寺に集め、整備した。直茂は龍造寺三代の御霊と共に祭神としても祀られ、没後400年以上経った今も、多くの市民に慕われている。直茂の敗北から学ぶ教訓は...「人の感情は意のままにならぬものと心得よ」!